情けは人の為ならず、やがて自分に返ってくる。

今日、はっさくを1玉いただいた。

私は最近デコポンとかグレープフルーツとか、柑橘類を食べるのが大好きだ。

はっさくをいただいて、とても嬉しかった。

職場の休憩時間に7割食べ、帰宅してから残りの3割を食べ終わり、たいへん美味しかった。

 

帰宅してはっさくを食べている時に、私は最近人から何かをいただくことが時々あるなと気づいた。

それは、ひとつひとつは小さなものだ。

はっさく1玉だったり、ビスケット1枚だったり、キャンディ1粒だったり。

でも、とても嬉しい。

 

人から物をいただくと嬉しい、ということに気づいたのは2年くらい前だ。

以前住んでいた家は、通勤途中に同僚の家があったため、同僚と一緒に帰る機会が多かった。

同僚は私より年上で、何かと親切にしてくださった。

よく同僚の実家で採れた野菜をいただいたり、旅行のお土産のお菓子をいただいた。

車で家まで送っていただくときもあった。

 

それで思ったのは、親切にしていただいたり物をいただくと、嬉しいということだ。

今まで、それはただの行為としてしか捉えていなかった。

気持ちが行為として表現されているということに気づかなかった。

言うなれば、相手のことが好きだから、親切にしたいし、物をあげたくなる。

別に相手からも同じように親切にしてもらいたいとか、物を返してほしいと思っているわけではない。

 

ということに気づいて、最近ことあるごとに機会を見つけて、色々な人にちょっとしたものを渡してみた。

それは旅行のお土産だったり、無料でもらったものだったり、あるいは手作りのクッキーだったり。

私は人から物をいただいてとても嬉しかったので、私も誰かに何かをあげたくなった。

好意の循環だ。

好意というのは、たぶん循環させるとうまくいく気がする。

こういう嬉しい気持ちというのは、人と人との関わる社会において、存在しているととても素敵なことなのではないか。

嬉しい気持ちがくるくる人と人との間で循環していると、なおさらみんな嬉しい気持ちになるのかな。

 

「情けは人の為ならず」ということわざがあるが、情け(親切)は人の為ではなく、いずれ巡り巡って自分のところに返ってくる。

確かにその通りだなと、いただいたはっさくを食べていたら急に気づいた。

あと、人に親切にするとそれが会話に繋がったり、人が嬉しそうだったりするのもいいなと思った。